与えられたものですら、まだまだ消化しきれていないし
TACでは皮肉られるも(←これには、逆にファイトが湧くってものです。)、
それこそ、毎日の積み重ねでしか作れないものだということは容易に想像がつきますが
僕は「僕の会計」というものが作れたら、なんと楽しいことだろうかと感じました。
しかも、僕の会計のテーマは「ズバリ言うわよ。会計で、人の心に触れる」です。
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今日も、もちろん会計のお勉強です。
で、勉強中にもかかわらず、妄想の世界にふと足を踏み入れたです。もう集中してないのがバレてしまうのです。
その「僕の妄想」「僕の会計」は、以下です。
信頼・優しさ、あとなんだろ、あ、愛情とか?様々な感情・イメージってのは、
何かの行動に対して反応して、感じるものです。
本当に当たり前なんだけれども、
自分以外の方にそういった感情だとか、イメージを持ってもらったり、思ってもらったりするためには、行動で表すしかない。その感情・イメージを具現化する行動を示さなくてはいけないし、示してもらわなくてはならない。
お金を稼ぎたい、たくさん持っていたいというのも、
上に書いた「感情」と何故か同じかもしれないと思います。
お金をたくさん稼ぐには、直接、お金に触れようとしても、お金は手に入らない。
なんですかね。
上の感情でいうと、相手を喜ばせるには
「喜べ、おい、君、喜んでくれ」と言っても、喜ばないでしょ・笑。って具合ですかね。
「金くれ、おい、くれよ。頼むよ。な?な?」と言ったら、相手によっては、くれそうな気がしますが。
なんか、みょ~~に不思議だなぁと勉強中に思ってしまった。
それで思ったです。
世の中ってもんは、直接触れたいものには、直接触れられないようになっているのかもしれない。と。
(やばい、なんか、ロマンを感じてしまう。ここで感じるのはロマンでいいんですか?)
感情もそうだし。
お金もそうだなぁ。
じゃあ、会計はどうなの?会計。直接触れられるのか?とフト思ったですよ。これ。もう訳わかんないですけど。
「会計に直接触れる」どういうことだ。
そもそも「会計に触れる」って、どういうことだ?
みたいな。
「触れる」とは「わかる」に置き換えられるのかな。
ってか、「理解する」「使える」っていう視点の違いだけか。
それらを総合すると「触れる」になるとか?
まぁ、
「もし、直接勉強(わかろうと・触れようと)したら、会計はわからない」という前提に立ちますと
確かにそうかもしれない。
会計の本当をわからないけもしれない。実は。
でも他方で、
(勉強しても、理解はできれど、使えるようにはならないという話の流れにはなりませんでした)
会計を勉強すると、会計に直接触れられないかもしれないけど
逆に、全く関係なさそうな「人の心」に触れられる(わかる)んじゃないか?て、ところには飛んでいきませんかね。逆に。会計を学んで、人の心に触れようとしたら、完全に直接じゃないでしょ。これ。もはや、ふいを突きすぎて、世の中の決まりがあったとしても、ばれようもない。
それって、つまり、
世の中、直接触れることはできないけど、何かを通してなら、触れることができる。みたいな。
あ、なんか、まともっぽいことになってきたところで、
先日買った
「道具としてのファイナンス」の帯にあの板倉雄一郎さんのリコメンドコメントあるですよ。
そこには
「ファイナンスとは、人の心理を読むことだ」と。
なんだか、「会計」だとか、「ファイナンス」だとか、すっごいもう、わけわかんないくらい関係ないところから
人の感情のところまで、たどり着けたとしたら、それって、凄すぎる。僕の会計すごすぎる。
と思った、日曜でした。では、来週も頑張りましょう。
先輩会計士の方々に見られたら、恥ずかしいな。これ。
お前、そんなこと考えてないで、問題の1問でも解けよ。みたいな。